シン・ゴジラから学ぶ戦略•会議のありかたについて
シン・ゴジラを3度見たというはまりすぎな筆者だが
その理由には人間模様をうまく描いている点に他ならないと考える。物語にすぎないと起きつつも、会議の本質、物事の決定における課題やポイントがとてもうまく描かれてる。
現在筆者は会社ではまだメンバーとして働くものの、戦略にかかわるようになり、組織の会議にでると、実体験こみでいろいろと感じたり、考えさせれるものがある。
生意気ながらポジションが上の人ほど、シンゴジラをただ鑑賞するのではなく感じてほしいと思うし、以下の内容には深く考えてくれたらという思いも込めて発言したい。
※ネタバレが多いので、内容知りたくないという人は控えてほしい。
素晴らしいセリフがたくさんあるのだが、今日はそのなかでも2つのセリフを取り上げたいと思う。
挙げた理由は組織を考えるうえでポイントのなるセリフだと考えたからだ。
大臣、先の戦争では旧日本軍の希望的観測、机上の空論、こうあってほしいという発想などにしがみついたために、国民に300万人以上の犠牲者が出ています。根拠のない楽観は禁物です。
矢口蘭堂 内閣官房副長官(長谷川博己)
エレベーターの中で大臣たちが、これで大丈夫だろうと安堵しながら語る場面があり、そのときにバサッと語るこのセリフである。
たまたま私は先日『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を読んでいたため、このセリフは印象に残った。この本自体は日本群の戦争での戦いかたを通して、人はどういうときに失敗しているのかを分析し解説したものであるが、その本を読んだからこそでてくるセリフである。
このあと映画では益々危機的状況に追い込まれていく。
その要因は失敗の本質にも書かれているように、はじめに立てた計画から立て直すことが固執してしまう政府の姿、危機的状況への臨機応変さのなさなどが要因として浮かび上がってくる。
本で描かれている失敗の本質に書かれているものが再現されている。
略本などは色々でるほど難解な本ではあるが、そういうものではなくこの本を手にとってほしい。
これで大丈夫だろうとはじめに立てた計画通り進め、状況が変わっているものを蓋を閉めてそのまま進めてしまってはいないだろうか?
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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次のセリフはこれである。
本対策室の中では、どう動いても人事査定に影響はない。
なので、役職・年次・省庁間の縦割りを気にせず、ここでは自由に発言してほしい。
ま、便宜上私が仕切るが、そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。気にせず好きにやってくれ。
森 厚労省医政局研究開発振興課長(津田寛治)
役職や決裁の手順など硬い政府側に対して、別で立ち上がった「巨大不明生物特設災害対策本部」が発足した際に仕切る2人は発言した言葉である。
対策室での方針をまず最初に発言したこのセリフにはとても強い意味をもつ。このセリフ一見乱暴に聞こえるようでファシリテーション、場の作り方としてはとても素晴らしい一言だと思う。
日本人は勤勉だと言われるが、ルールを破ることや体面を気にする部分が大きい。
あえて明確に「人事査定に影響がない」「縦割りを気にせず」「自由に発言してほしい」「気にせず好きにやってくれ」と発言している。
人事査定に影響しないと明言しているのが一番効果があるように思う。
実際にこの組織が映画のなかでも大活躍する。
互いに気にせず発言することで誰かの発言からまた他の思いつきが発生して化学反応を生む。
そして互いの強みを生かし合うように動きだす。
言い方を変えればそれだけ異端児が動きにくい状況が生まれやすく、
発言がしにく組織が多いだろう。
発言があふれずぎて会議が進まないというリスクはあるかもしれないが
そんな自由に発言できない場ではメンバーはきっと発言できずに苦しむだろう。
この発言がトップができる組織は急成長するだろうなと確信できるセリフで
自分がグループを作る場になったらこの発言ができ、メンバーを信用できるリーダーになりたいと思った。
さてあなたはシンゴジラを見てなにを感じただろう?